厳しかった師匠の変化

平成8年秋頃、当時所属していたマセキ芸能社の社長(故・会長)から
「よっちゃん(好江)が地方の仕事先で具合が悪くなって一晩だけ入院したらしいよ!もう帰ってるから電話してみな。」との電話が。 慌てて好江に電話すると、

「社長に聞いたの?黙っててって言ったのに!大した事じゃないんだよ。ちょっと胃が疲れただけだから。お姐さん(桂子師)にもかずおにも言うんじゃないよ!」

この時もっと・・・もうやめましょ。

明らかに体調がおかしくなり始めたのは、翌9年になってからでした。 食が細くなる。お酒を止める。筆者が検査を勧めても 「わかってるけど今は忙しいから駄目。」とそればかり・・・ おかしくなったのは体調だけではありませんでした。

 平成9年2月1日、大宮市民会館で行なわれた『古今亭志ん朝・内海桂子好江の会』の楽屋での事です。 この日、桂子師匠のお仕事の都合で出番が変わり、笑組が志ん朝師匠のひざがわり(トリの前)に上がらせて頂く事になりました。

「残ったって仕方ないから、あんた達がやってる最中にあたしも帰るから。」と好江。
25分の高座を終え楽屋へ戻ると、すでに帰った筈の好江がやって来ました。
「あれ!?師匠お帰りになったんじゃないんですか?」と訊ねると、
「いつも袖からばっかりだから今日はお客席から拝見しておりました。」と。
こちらも洒落に「前からご覧になって如何でした?」と訊ねてみたら、

あたしの目に狂いは無かった。あんた達は商売人だ。
地味でもいいの。そのまま進みなさい。

小言しか言わなかった好江が初めて、そして最期に芸を褒めてくれた瞬間でした。

仕事先の楽屋でよく肩もみをしました。 大宮での事から2ヶ月後の4月、よみうりホールの『内海桂子好江独演会』の楽屋ではこんな事がありました。

「肩もんで。」と呼びに来たので好江の楽屋へ行っていつもの様に肩をもんでいると呟くようにポソッと、

 「あんたが弟子に来てくれて良かったな・・・

筆者が驚いて「はいっ!?」と言うと、 「只でマッサージしてもらえるからさ。」
それが照れ隠しだったかどうかはわかりませんけど・・・

その月末、好江は中目黒の病院に検査入院をしました。 結果が出る5月1日、筆者は午前中の仕事を済ませて病院へ。筆者が到着すると義妹さんが「ゆた君が来てくれたから、あたし達ちょっと色々相談して来るわね。」と皆さん出て行かれました。
二人きりになると、それまでベッドに座っていた好江が横になったので、カーテンを閉めようとしました。すると、

「開けといていいよ。」
「だって明るくてお休みになれないでしょ?」
「手術したら・・・もう表、見られないかもしれないし。」 ???
「別にどうのこうのいう病気じゃないんですよね?」
「あんた何にも聞いてないの?」
「幽門狭窄って聞いてます。」
「そう。」
「違うんですか?」
「それがね・・・どうのこうのいう病気なんだよ。」

 生まれて初めてでした。凍りつく感覚。 励まそうにも言葉がまるで出て来ない。

「しかし人間ってのは色んな事があるね。」
何か言わなきゃ!どうしよう!
「あたし・・・何か悪い事したのかな・・・」
これには筆者、泣きながら応えました。

「そんなわけないでしょ?もし師匠が悪い事して病気になったんだったら、病気になるべき人が他にもいるじゃありませんか!」
「そうかね・・・」
「それにもしここで師匠が終わっちゃうなら、前の二度のどっちかで終わってますよ!」

好江は二度、死にかけてます。 一度は子供の時分、両親の巡業先の豊橋でダンプにはねられて。 二度目は二十歳の時、自殺未遂で。

「そうだよね。頑張らなきゃね!」
「そうですよ!」
「よし!あたしゃ絶対に良くなるから!あんた、お姐さんにも社長にも誰にも言うんじゃないよ!治ってから自分で癌だったって言う!だから、かずおにも黙っといて!」
「はい!」

絶対に師匠は良くなるって、信じてました。

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