前回、誕生日のおはなしがいつの間にやら過去の愚痴に変わってしまいました。
ごめんなさい。
今回は誕生日についての思い出に戻ります。
うちの師匠ってね、変わってるんですよ。
誕生日に奇妙な掟があったんです。それは、
『バースデイケーキは自分で買う』
という何とな~く情けない感じがする掟でした。でも筆者、「これ、逆に遣える!」と考えたのです。つまり『バースデイケーキをプレゼントにする』という妙案です。素晴らしい!
相方氏、妹弟子、弟弟子に話すとみんなも賛成してくれました。妹弟子は言いました。
「切り株の前にそうすべきでしたね!」
後日、ケーキは弟子一同で用意する事、
デザインはこちらに一任して頂く事を好江に伝えました。
すると、「ケーキはいいよ。自分で買うから。」と。
遠慮しているのかと思って更にこちらで用意させてくださいと申し出ると、
「いいの!ケーキは自分で買うの!」
と頑なに言い張るのでこっちもいささか意地になって、自分の誕生日に自分でケーキを買うのは相当な異常事態である事を告げました。
「そんなに言うんなら・・・これあんまり話したくないんだけど・・・」
以前申し上げたように、好江は9歳で学校を辞めさせられてお父さんと漫才をし、その後お母さんと漫才をして14歳で桂子師匠とコンビを組みました。つまり9歳からずっと家計を支えるために芸人をしてきたわけです。
稼いだお金は全てお母さんに渡して、そこからいくらかのお小遣いをもらうというサラリーマンシステムだったようです。
そしてこれは十代の終わり頃の事。
普通ならお洒落にお金を掛けたかったでしょうが、好江曰く、
「貧乏でそれどころじゃない。」
実際に、商売に関する事以外で服飾品にお金を掛けなかったそうです。そんな好江が少ないお小遣いの中からいくらかずつ貯めて、どうしても欲しかったものがありました。
仕事の行き帰りにいつも通る洋菓子店のショーケースに入っているホールのケーキ。
「あんたには浅ましく聞こえるかもしれないけど、あの時あたしを支えてくれたのはあのケーキだったね。」 ケーキのために(?)毎日必死に頑張って『今日もらうお小遣いでやっとケーキが買える!』・・・その日の事でした。 いつものようにお金を受け取ったお母さんが申し訳なさそうに
「好江・・・お前お小遣い貯めてるだろ?妹が中学へ上がるのに制服代が足りないんだよ・・・すまないけどそのお金・・・お母ちゃんにくれないかい?」
もう一度言います。
うちの師匠は家計を支えるために9歳で学校を辞めさせられて、芸人にされちゃいました。欲しいものも我慢して唯一、楽しみにしてきたケーキを買うお金も、妹さんが学校へ行くために入れてくれと。
「ゴネんのは簡単だったけど、お袋が今どんな思いで頭下げてんのかと思ったらね・・・出すしかないもん。」
十代の少女はお小遣いを全部出しました。
「だからケーキは絶対に自分のお金で買うの!」
こんな話しするの、イヤだったと思います。筆者が好江に申し訳なかったと思っている二つの事の一つです。もう一つは・・・いずれお話しします。
誕生日のおはなしをもう一つ。
平成8年2月23日。好江の還暦の誕生日です。
還暦に加え、前年秋に連れ合いを亡くした事もあったので『とにかく師匠を励ましたい!』という事で話しがまとまり、みんなで好江を招待して食事会、そしてプレゼントは絶対に売ってないものにしようと決まりました。 プレゼントは・・・小学生並みで少々お恥ずかしいんですが、それぞれから師匠に宛てた手紙です。それを好江が好きだったブランドの巾着に入れて贈る事にしました。
お店の予約も済み、準備万端整った所で事件勃発!筆者の母がクモ膜下出血で倒れました。救急車で運ばれた病院から好江に電話をすると大変な驚きようでした。
「病気が病気だから、万が一の覚悟はしておきなさい。うちは漫才だから芸そのものは教えてやれなかったけど、こんな時の心構えは身を以て教えてきたつもりだから。あんた傍で見てきたんだから一番わかってるね?」
実際好江は連れ合いの葬儀も気丈に勤め、告別式の翌日から仕事をしておりました。
幸い母は命を取り留め、翌日午後には容体も安定しました。(でもそれ以降ずっと入院生活でしたが。)その旨を好江に電話で報告すると安心し、喜んでくれたんですが・・・
その後の会話を記憶の限り正確に。
「予定してた誕生会、中止するから。」
「なんでですか?」
「なんでったってあんたのおっ母さんが生きるか死ぬかって時に誕生日おめでとうもないでしょうに。」
「いえ母は安定してますから。」
「安定してるったって集中治療室に入ってんだから。」
「いえ予定通りやりましょう。」
「こないだまで一緒に呑み歩いてたあんたのおっ母さんが管につながれてんのに!
あたしゃイヤだ!!」
「師匠のお誕生会を中止しても母が元気になるわけじゃありません。」
「そういうのを屁理屈ってのよ!いいじゃないのよ誕生日なんか来年もあるんだから!!中止にさせてちょうだい。」
「来年のお誕生日は還暦のお誕生日じゃありません。」
「相変わらず頑固だねあんたはっ!!」
「はい頑固です。師匠のとこへ入ってこの十年ずっと頑固です!
今年はどうしてもお誕生会したいんです。」
「なんでよ!」
「旦那様がいらっしゃらない初めてのお誕生日ですから。」
筆者のこの言葉が決め手となって“母の容体に異常が無ければ”という条件付きで予定通り誕生会を行う事になりました。
結果的に、やって良かったなぁって今でも思ってます。
翌年の“最期の”誕生日は、もう好きなお酒も呑めなくなってましたから・・・
あ。
ちなみに母は、好江が亡くなった後、17年も生きてました。怪物か?
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