漫才師は言葉を磨け

『話す』という行為。
おかげさまで健康に産んでもらった筆者には、ごく自然な行為です。
ところがここに『お金を頂く』という行為が伴うと、これは大変です。
ただ話してるだけではいけません!!

・・・かく言う筆者は、無駄に口数が多いだけで決して話し上手ではありません。
 20年以上前、敬愛する先輩の番組(日本中で30人ぐらいしか聴いてない番組)で一年半ほどアシスタントをさせて頂きましたが、その先輩からも「お前喋んの下手だな~」と年中叱られました。今やっても同じ事言われると思う。

筆者はよく好江から、早口をたしなめられました。
 「あんたの喋りは百人の前なら通じるけど五千人の前じゃ通用しないよ。
五千人って・・・そんな仕事は絶対に来ないから別にいいや。と思ってたら

あったの。一回だけ。

好江が亡くなってからの話しなんですが。横浜の体育館で。 いつもの調子で漫才しました。そりゃ五千人ですからそれなりの反応はありましたが、後でスタッフの方から
「後ろの方で聴いてたんだけど、ただワ~ッとしか聴こえなかった。」
その時になって初めて好江に言われた事を体感しました。まだ体得出来てないけど。

 芸の内容に関して、あそこをこうして、ここはこうして、と細かく教えたがる方がいらっしゃいます。ご親切で仰ってくださってるんでしょうが、う~ん・・・
筆者にはご自分の型に嵌めようとしている、としか映りません。

その点、好江は違いました。よほどの事でない限り芸の内容には口出ししませんでしたね。「漫才は各々の感性だから。あんた達が物事をどう感じるかはあんた達でなきゃわからない。」そう言ってました。

好江が口やかましく言ったのは『言葉』について。
間違えた言葉遣いをした時は注意をされました。

例えば『とんでもございません』。筆者は日常的に丁寧語として遣っておりましたが、
ある日好江から「今はいいって事になっちゃってるけど、本当はそんな日本語は無いんだよ。」と教えられました。
『とんでもない』は元々『途(道理や方法の意)でもない』という言葉が転じた物で、
『とんでも・ない』ではなく『とんでもない』で一つの言葉なんだそうです。
 「だから言うならとんでもない事でございますって言いなさい。」
そう教えてもらいました。

同じような例で、これは好江から教わった事じゃないんですが・・・
皆さん『お気をつけて』って言葉、遣ってませんか?これ、間違えてるんですよ!
『気をつける』は、それで一つの動詞なんです。だから正しく言うと『お気をつけになって』になるんです。

 「あんた達は東京の生まれなんだから東京弁で喋んなさい。」
これも好江から言われた事です。筆者がまだ若い頃、漫才中に『ど真ん中』という言葉を遣いました。すると、
「ど真ん中って言葉が悪いとは言わないよ。そういう言葉があるんだから。
だけどそれは関西弁!あんたは生まれも育ちも東京なんだから遣っちゃダメ!
言うんならまん真ん中って言いなさい!」
と叱られました。故郷がわからなくなる言葉は遣いたくないですからね。 偉そうに書き連ねておりますが筆者もまだまだ未熟。お耳障りもあろうかと思います。

・・・あ。 この『耳障り』も誤用している人が多い!
「耳障りのいい声」なんて言ってる人がいますが、これは『障り』を『触り』と間違えてるんでしょう。「肌触りがいい」とは言いますが、耳に『障る』んだからいい筈は無いですからね。『聞き心地がいい』と言うべきでしょう。

筆者は十代の頃からこういった事を好江から厳しく仕込まれましたので、今でも話し方には細心の注意を払っています。(・・・つもりです。)そのおかげで大変に嬉しい事がありました。 永六輔先生のご紹介で野坂昭如先生とお近付きにさせて頂き、野坂先生が定期で催されていた“野坂塾”というトークライブの前座を何度も勤めさせて頂きました。 三度目に伺ったその日は、平成13年12月19日でした。笑組が漫才を終えるとお客席でお聞きになっていた野坂先生が壇上へお上がりになって、うちの拙い芸を誉めてくださいました。でも一番嬉しかったのは、先生が締め括りに仰ってくださったお言葉。

私は笑組ほど綺麗な日本語を遣う若手の漫才を知りません。
野坂先生に感謝。永先生に感謝。もちろん好江にも。

「何となくわかれば、言葉なんてどうでもいいんじゃないの?」
と考える若手は少なくないと思います。 でもそれじゃ駄目なんです。
我々は言葉を道具にするんです。 それでお金を頂くんです。
日本人に生まれたなら日本語を上手に遣わなきゃ。
知った上で敢えて間違う事と、知らずに堂々と遣う事を混同しちゃいけません!
好江はいつも言ってました。「包丁をぞんざいに扱う板前さんはいないよ。
あれ?今回ちょっと真面目過ぎ?

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