桂子好江の漫才のおしまいは、桂子師匠の踊りでした。(絶対じゃありませんけどね。
この時、一人が桂子師匠の三味線をお預かりして楽屋へ戻り、前述のようにたたんで鞄にしまいます。一人は舞台袖に残り、踊りが済んで引っ込んで来た好江の三味線を受け取ります。(好江は踊りの伴奏をしてたので。)
足代等でお仕事先にご迷惑がかからない近場の仕事の場合、多い時で五人ほど付いておりましたので、そんな時は何の問題も無い単純な作業でしたが、一人の時はもちろん一人きりでこなさなければなりません。大変です。
踊り終わるまでに三味線をたたんで(たためなくても)袖へ戻って好江の三味線を受け取らないとどうなるか・・・皆さんご存知の通りです。
でも袖を離れてしまえば、踊りがどこまで進んでいつ終わるのかわからないでしょ?だから筆者はいつも時間を計るため、唄を口ずさみながら三味線をたたんでおりましたよ。
どうですか?皆さん。楽屋の片隅で“奴さん”やら“桃太郎”を小声でブツブツ呟きながら三味線たたんでる100キロのデブ。
かなり不気味でしょ?
これは余談ですが、筆者が主催しております『運座』というライブで先日、うちのマコトに“お客様の前で袴をたたむ”という試練を与えました。この時、筆者が奴さんを弾き終わるまでにたたむように命じたところ・・・
出来ちゃいやんの。つまんね~!!
前回申し上げたように筆者は18歳から三味線の稽古をしておりましたので、他の弟子なら気に留めないような事でも気付いたりしました。
あれは亡くなる一年ほど前でしたでしょうか・・・場所は失念しましたが、内海桂子好江独演会での事です。
いつものように桂子師匠が踊ってらっしゃる時の好江の三味線がおかしかったんです。
もちろん好江の事ですから、音を外すわけではありません。では何がおかしいのかというと、一の糸の空振りが多いのです。指には常に気を遣い、舞台前には必ず両手の指を一本ずつマッサージしていた好江にしては珍しい事。下りて来た好江に
「右手、どうかなさいました?」と訊ねると
「何かちょっと力がはいらないんだよね。」と。
今にして思えばあの頃、すでに少し悪くなっていたのかもしれません。
まぁ今さら言っても、ですけどねぇ・・・
コント赤信号の渡辺正行リーダーが若手のために主催してくださっている“ラ・ママ新人コント大会”というライブがあります。多分、都内では最古のライブだと思います。何しろうちがコンビを組むふた月前、昭和61年の1月から続いているライブですから。
うちは第9回からレギュラーで8年間、26歳頃まで出して頂いてました。
毎月・・・
絶対に・・・
ネタが無くても事務所が請けちゃうから。
ある時、苦しまぎれでリーダーに、師匠と三人で出てもいいですか?とお訊ねすると、「好江師匠っ!?そりゃ出て頂けたら嬉しいけど・・・大丈夫?師匠怒らない?」
「大丈夫っす。大丈夫っす。」
「軽いなお前っ!!」
という事で、好江とのトリオ“文化庁推薦”で出演する運びになりました。
当日、好江が楽屋入りすると『ピリッ』と音がするほど緊張が走りましたね~。
みんな無口でしたもの。
心の中では『笑組さん早く師匠を連れてってくれないかな・・・』って思ってたでしょうね。筆者がネタを書きたくないばかりにご迷惑をお掛けしました。
いよいよ出番!でも好江の出演は伏せてありましたので、お客様はただ笑組が出て来るだけと思っている所へ司会のリーダーが、
「次はコント大会ではお馴染みの笑組なんですが、今日はスペシャルゲストと三人で漫才をします。本当にスペシャルですから!!それではご紹介します!文化庁推薦です!!」
登場音に乗って内海好江と他2名がステージへ。
「キャーッ!!師匠~っ!!」
黄色い歓声を通り越して黄金色でしたね、あのキャーは。好江もご満悦。
大したネタでもないのにドッカンドッカンでしたから。
そして漫才のおしまいは、筆者がまだ習いたてだった“奴さん”を弾いて好江が踊る。
・・・という予定だったんですが、筆者の脳内がホワイトアウト!!
三味線が弾けなくなってしまいました。
「これじゃ踊れないよっ!!唄だけ唄えっ!!」
との下知で、三味線抱えて唄だけ唄うという世にも間抜けな形になってしまいました。
今なら“せつほんかいな”でも“品川甚句”でも弾けるのに・・・
奴さんも弾けなかったなんて!!
数ヶ月後、爆笑問題さんのラジオに呼んで頂いた折、その時の話しになりました。二人とも口を揃えて「あの時は緊張した。」と。田中君ならさもありなんですが
「え?太田君でも緊張する事あんの?」と訊ねると、
「するよ~!だって好江師匠だよ?笑組は慣れてるかもしれないけど・・・好江師匠だも~ん!」って。
後日、好江にその旨を伝えると、
」「あんたの奴さんの方がよっぽど緊張したよ!! 」
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